耳目変鼻の香
【じもくへんびのか】
耳と目も鼻に変えてしまいたいと思うほどに、人を惹きつけてやまない美香の意。ラヴェニール文明時代における、香りの素晴らしさに対する最上級の表現の一つ。
リューレリーという花の香り、セレンディール人の体香について表現する際の定型表現。
「香」を発するものが美しい、あるいは美しいものが発する非常に良い美香(ラヴェニール文明では、香り、匂いに対しても美という概念がある。日本語訳では「美香」としている)という前提があることに注意。その香りを嗅いだ時に、その香りの先には美しい人物や物がある、ということが強く連想されなければならない。例えば、食欲を強くそそる非常に美味しそうな料理の匂い、というような場合には用いない。
美を「絶対善」とし、非人道的なまでに美への追究を徹底して、今もなお、「美の基準」において絶大な影響力を持つ、「美の文明」と呼ばれるラヴェニール文明では、「リューズ」をはじめとする舞踏や音楽、絵画、旋律画などの芸術を鑑賞するための視覚、聴覚(耳目)が非常に大切なものであるということを踏まえた上での表現であることに留意。
訳注
ラヴェニール文明
一般に「美の文明」と呼ばれるように、美を「絶対善」とし、非人道的なまでに美への追究を徹底したことで有名な文明。はるか古にラヴェニール文明が滅び、その後継文明となったルウェイン文明すらもセレンディール文明に飲み込まれ滅びた現代でもなお、「美の基準」はラヴェニール文明の影響が色濃く残っているほどに大きな存在感を有し続けている。
ラヴェニール文明を象徴する存在として「セレンディール人」「リューズ」がある。ラヴェニール文明が、美に関して技術的にはもはやこれ以上はほとんど成長の余地が無い、という、限界に近いところまで到達し、停滞期に入っていた時代に生まれた伝説的な王ルーレイ・ラナディーレリーにより、絵や彫刻、物語などの「作り手」側ではなく、「対象」側、つまりモデルとなるものを美しくしてゆけばよい、という恐ろしい考え(元からラヴェニール文明にはそういう傾向はあったが)が徹底的に推し進められ、これが、後のヴェルナトールとリューズレイ、そしてセレンディール人誕生へと繋がり、このヴェルナトールとリューズレイの兄妹により、リューズとセレンディール人は完成の域に達した。
ラヴェニール文明が生み出した美には、その絶対的な美しさと共に、常に死のイメージが付きまとうほど(事実、ラヴェニール文明には、死を「美」への貢献につながるものと考える思想が根底にあった。「セレンディール人」「リューズ」訳注参照)、現代の基準では人道に反する所業を連ねたにも関わらず、今なお、多くの人々を魅了し、憧憬を以て語られる文明である。
リューレリー
最も美しく、最も美しい(良い)香りを持つとされる花。その香りには危険なほどに強い依存性がある。
美貌、若さを得られる代わりに精神を狂わされるという、神話的な、現実に存在することが信じられないような超自然的なものすらを感じさせる信じがたい性質を持つがゆえに、精神が狂うと知っていながら、美の為に過剰摂取したり、更に忌まわしいことには、他者、それもおぞましいことに、自分の娘や妻に無理矢理、摂取させる者すら多く、他者に強制摂取させられずとも、自らの容姿に劣等感を持っていたり、また、自信があっても、より美しくなりたい、と考える人々もまた、精神の崩壊を知っていてなお、この花を求めた。
こういった忌まわしい歴史があるために、リューレリーは「狂花」「生贄花」「想い殺し」「欲曝し」「継承花」「狂選香」など、その美しさとは裏腹に、様々な名で呼ばれ、非常に多くの神話や伝説、文学に登場する。
「生贄花」「狂花」などの恐ろしい呼び名をつけられたり、神話や文学、演劇などの物語では悲劇の象徴として扱われたりしてきたが、「忌まわしい」のはリューレリーなのか?それを利用する人間が忌まわしいだけではないのか、と考える人も勿論、昔からいた。「忌まわしきはリューレリーならず」という言葉は、それをあらわしており、古代から世界中に言い回しは異なるが内容はおおむね同じものが多数ある。
なお、「美の文明」と呼ばれるラヴェニール文明では、リューレリーを使うことが常套となっていた。「狂気の文明」とも呼ばれる所以である。その結果、膨大な時間と犠牲の果てに、ラヴェニール文明が生み出した最高傑作がセレンディール人、あの神懸かり的な美しさで多くの人々を魅惑し、破滅させてきた少女たちである。